CARLO SERGIO SIGNORI LeParadis Terrestre - 地上の楽園 イタリア文化会館
イタリアを代表する抽象彫刻家、カルロ・セルジョ・シニョーリ。
彼の死後、その作品の多くはイタリア・カッラーラの倉庫に眠り続けてきました。
本展では、写真家・中村治が撮り下ろしたシニョーリ作品 30点と、初来日の彫刻 5点を展示します。
2020.2.14 [金] - 3.1 [日]
11:00 -18:00
[会期中無休]
イタリア文化会館
エキジビションホール
石の貌、記憶の発掘。
石に刻まれた相貌が、失われた記憶を呼び起こす。
カルロ・セルジョ・シニョーリは、イタリアを代表する抽象彫刻家であるにも関わらず、その作品の多くは長年人目に触れることなく、静かに眠ってきました。生前、イタリア・カッラーラに美術館が建てられる計画があったものの、彼の死や様々な理由によって頓挫し、行き場の失った作品たちはご遺族によって、カッラーラ市内の倉庫でひっそりと保管されてきたのです。
シニョーリの死後、ちょうど30 年を迎えた2017 年秋。撮影のためカッラーラの倉庫に足を踏み入れた時のショックと悲しみは、忘れることができません。かつてピカソ、ジャコメッティ、モディリアーニ等と共にグループ展を開催し、歴史上初めての大理石による抽象彫刻モニュメントを制作したことでも知られる重要な彫刻家の作品が、所狭しと倉庫に押し込まれ、分厚い埃にまみれていたのです。埃を丁寧に払い、当てるべき光を作品に向けると、美しい形が力強く現れました。
そのカッラーラの倉庫に保管されていた大小様々な彫刻作品全115 点を、シニョーリと所縁の深い日本人彫刻家の安部大雅さんとともに、2週間かけてすべて撮影しました。安部さんの解釈・解説を頼りに、作家の想いや作品の魅力を読み解いていき、立体の作品を写真という平面に落とし込む作業は、とても緊張感のある刺激的なものでした。シニョーリに敬意を払いながら、考古学者が地中から遺跡を掘り起こすような気持ちで、1 枚1枚シャッターを押していたことを覚えています。今回、そのうちの写真30 点と、日本初公開の彫刻作品5点を皆さんにご紹介できることを嬉しく思っています。
1963 年、シニョーリは前回の東京オリンピックの前年に東京で開催された世界近代彫刻シンポジウムに招待され、真鶴の小松石を使った彫刻作品を制作しました。その作品は、他の彫刻家の作品と共に代々木総合体育館周辺に飾られました。そして、新たな東京オリンピックが開催される2020 年。57 年という年月を経て、シニョーリ作品を通してイタリアと日本を繋ぐこの展覧会を開催することには、大きな意義があると考えています。
真鶴での制作過程を撮影した写真家の冨美枝さんと出会い、シニョーリと冨美枝さんは結婚することになります。シニョーリの作品の中でも特に多くの人を魅了する『Bambu 竹』は、日本人である冨美枝さんに捧げられた作品と言われています。天空へ真っ直ぐに屹立する竹の姿を表したその作品には、シニョーリの自由と人間の尊厳を求める揺るぎない意志が垣間見えるように思われます。また、戦前はファシズムと戦う戦士としての姿を持っていたシニョーリがその先に求めていたのは、人と人の争いではなく、人間は本来美しく、この世界に輝く楽園を構築し得るのだという、人間の可能性ではなかったでしょうか。
私は普段はポートレイト撮影を専門にしており、彫刻撮影は門外漢です。今回、私は彫刻に向かいつつ、シニョーリの貌に刻まれていただろう豊かな表情をそこに見出そうとしました。ファシズムに反対し、激動の時代を駆け抜けたシニョーリが根底に持ち続けた想い。そして、戦後日本女性に恋し日本の文化に出会うことでシニョーリの作品が持つに至った表現の深みを、皆さんと一緒に探ってみたいと思っています。
- 写真家 中村 治 -
カルロ・セルジョ・シニョーリ
Carlo Sergio Signori
1906 年ミラノ生。1920 年より、ミラノ・ブレラ国立美術学院の夜間工芸コースに通う。1924 年、ファシズムから逃れてフランスへ渡り、ヴァルスアーニ美術鋳造所でブロンズ鋳造の技術を身に付ける。1926 年、パリで彫刻家ジャン・ブシェに師事するも、翌1927 年には画家へと転向。ピカソやデ・キリコ、ジャコメッティ、モディリアーニなどの作家たちと親交を深め、画家としての地位を確立する。1939 年、第2 次世界大戦が始まると南フランスのサン・ラファエルに移るが、1943 年パリに戻り、抵抗運動に参加。ファシストによりアトリエは荒らされ、戦前の絵画作品はほとんどが破壊される。1946 年、ファシストに殺された英雄ロッセッリ兄弟のモニュメントをコンペで勝ち取り、翌年モニュメント制作のために訪れたカッラーラで、大理石との運命的な出会いを果たす。1949 年に完成したモニュメントは、はじめての大理石抽象彫刻モニュメントとして大きな話題を呼んだ。1952 年、カッラーラ美術アカデミーの教授としてカッラーラに移り住む。1958 年、ヴェネツィア・ビエンナーレで単独会場展示。1963 年、日本で最初の彫刻シンポジウムに参加するため来日し、後に妻となる写真家の柿沼冨美枝と出会う。1964年、レンティアイのパルチザンのモニュメントを制作。1970年、「 ラ・ロッシュポゼ」本社( パリ) に3×20m の巨大大理石レリーフを制作。1988 年9 月18 日ガエターノ・ブレッシのモニュメントを制作中に心筋梗塞のため死去。
Photographer Osamu Nakamura
写真家 中村治
1971 年広島生まれ。成蹊大学文学部卒業。ロイター通信社北京支局で現地通信員として写真を撮ることからフォトグラファーのキャリアをスタートし、雑誌社カメラマン、鳥居正夫アシスタントを経て、ポートレイト撮影の第一人者である坂田栄一郎に5 年間師事。2006 年独立し、広告雑誌等でポートレイト撮影を中心に活動している。2006年、写真展『Tokyo』を中国北京 Igosso にて開催。2011 年、写真展『HOME』を新宿ニコンサロンにて開催。2014 年、写真展『Breath』を六本木ギャラリールベインにて開催。2017 年秋、イタリア・カッラーラにてシニョーリ冨美枝夫人が管理するシニョーリ作品全115点を、彫刻家・安部大雅と共に2週間かけて撮影し、今回の写真展に至る。2019年8 月、写真集『HOME - Portraits of theHakka』をLITTLE MAN BOOKS より上梓。
CARLO SERGIO SIGNORI
Le Paradis Terrestre - 地上の楽園
エキジビションホール
イタリア文化会館
2020.2.14 [金] - 3.1 [日]
11:00-18:00
会期中無休 入場無料
〒102-0074 東京都千代田区九段南 2-1-30
●アクセス
・九段下駅(2番出口) から徒歩10分
・半蔵門駅から徒歩 12 分
・市ヶ谷駅から徒歩15分
※駐車場はありませんので、車での来館はご遠慮ください
企画 : 越境する芸術プロジェクト
イタリア文化会館
後援 : 一般社団法人 日本美術家連盟
一般社団法人 日本建築美術工芸協会
協賛 : タキゲン製造株式会社
株式会社 KOUZUKI